2015年4月7日火曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 03-04

夏目漱石 『坊っちゃん』 三
Soseki Natsume Botchan

  それから毎日毎日学校へ出ては規則通り働く、毎日毎日帰って来ると主人がお茶を入れましょうと出てくる。




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  それから毎日毎日学校へ出ては規則通り働く、毎日毎日帰って来ると主人がお茶を入れましょうと出てくる。一週間ばかりしたら学校の様子もひと通りは飲み込めたし、宿の夫婦の人物も大概たいがいは分った。ほかの教師に聞いてみると辞令を受けて一週間から一ヶ月ぐらいの間は自分の評判がいいだろうか、悪わるいだろうか非常に気に掛かかるそうであるが、おれは一向そんな感じはなかった。教場で折々しくじるとその時だけはやな心持ちだが三十分ばかり立つと奇麗きれいに消えてしまう。おれは何事によらず長く心配しようと思っても心配が出来ない男だ。教場のしくじりが生徒にどんな影響えいきょうを与あたえて、その影響が校長や教頭にどんな反応を呈ていするかまるで無頓着むとんじゃくであった。おれは前に云う通りあまり度胸の据すわった男ではないのだが、思い切りはすこぶるいい人間である。この学校がいけなければすぐどっかへ行ゆく覚悟かくごでいたから、狸たぬきも赤シャツも、ちっとも恐おそろしくはなかった。まして教場の小僧こぞう共なんかには愛嬌あいきょうもお世辞も使う気になれなかった。学校はそれでいいのだが下宿の方はそうはいかなかった。亭主が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、いろいろな者を持ってくる。始めに持って来たのは何でも印材で、十とおばかり並ならべておいて、みんなで三円なら安い物だお買いなさいと云う。田舎巡いなかまわりのヘボ絵師じゃあるまいし、そんなものは入らないと云ったら、今度は華山かざんとか何とか云う男の花鳥の掛物かけものをもって来た。自分で床とこの間まへかけて、いい出来じゃありませんかと云うから、そうかなと好加減いいかげんに挨拶あいさつをすると、華山には二人ふたりある、一人は何とか華山で、一人は何とか華山ですが、この幅ふくはその何とか華山の方だと、くだらない講釈をしたあとで、どうです、あなたなら十五円にしておきます。お買いなさいと催促さいそくをする。金がないと断わると、金なんか、いつでもようございますとなかなか頑固がんこだ。金があつても買わないんだと、その時は追っ払ぱらっちまった。その次には鬼瓦おにがわらぐらいな大硯おおすずりを担ぎ込んだ。これは端渓たんけいです、端渓ですと二遍へんも三遍も端渓がるから、面白半分に端渓た何だいと聞いたら、すぐ講釈を始め出した。端渓には上層中層下層とあって、今時のものはみんな上層ですが、これはたしかに中層です、この眼がんをご覧なさい。眼が三つあるのは珍めずらしい。溌墨はつぼくの具合も至極よろしい、試してご覧なさいと、おれの前へ大きな硯を突つきつける。いくらだと聞くと、持主が支那しなから持って帰って来て是非売りたいと云いますから、お安くして三十円にしておきましょうと云う。この男は馬鹿ばかに相違そういない。学校の方はどうかこうか無事に勤まりそうだが、こう骨董責こっとうぜめに逢あってはとても長く続きそうにない。

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