2015年4月7日火曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 03-03

夏目漱石 『坊っちゃん』 三
Soseki Natsume Botchan

 それからうちへ帰ってくると、宿の亭主ていしゅがお茶を入れましょうと云ってやって来る。


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 それからうちへ帰ってくると、宿の亭主ていしゅがお茶を入れましょうと云ってやって来る。お茶を入れると云うからご馳走ちそうをするのかと思うと、おれの茶を遠慮えんりょなく入れて自分が飲むのだ。この様子では留守中るすちゅうも勝手にお茶を入れましょうを一人ひとり履行りこうしているかも知れない。亭主が云うには手前は書画骨董しょがこっとうがすきで、とうとうこんな商買を内々で始めるようになりました。あなたもお見受け申すところ大分ご風流でいらっしゃるらしい。ちと道楽にお始めなすってはいかがですと、飛んでもない勧誘かんゆうをやる。二年前ある人の使つかい帝国ていこくホテルへ行った時は錠前じょうまえ直しと間違まちがえられた事がある。ケットをかぶって、鎌倉かまくらの大仏を見物した時は車屋から親方と云われた。その外今日こんにちまで見損みそくなわれた事は随分あるが、まだおれをつらまえて大分ご風流でいらっしゃると云ったものはない。大抵たいていはなりや様子でも分る。風流人なんていうものは、を見ても、頭巾ずきんかぶるか短冊たんざくを持ってるものだ。このおれを風流人だなどと真面目に云うのはただの曲者くせものじゃない。おれはそんな呑気のんき隠居いんきょのやるような事はきらいだと云ったら、亭主はへへへへと笑いながら、いえ始めから好きなものは、どなたもございませんが、いったんこの道にはいるとなかなか出られませんと一人で茶を注いで妙な手付てつきをして飲んでいる。実はゆうべ茶を買ってくれとたのんでおいたのだが、こんな苦いい茶はいやだ。一ぱい飲むと胃に答えるような気がする。今度からもっと苦くないのを買ってくれと云ったら、かしこまりましたとまた一杯しぼって飲んだ。人の茶だと思って無暗むやみに飲むやつだ。主人が引き下がってから、明日の下読したよみをしてすぐてしまった。

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