2015年9月9日水曜日

芥川龍之介 『鼻』 01

芥川龍之介 『鼻』
Ryūnosuke Akutagawa The Nose

 禅智内供ぜんちないぐの鼻と云えば、いけで知らない者はない。長さは五六寸あって……





 禅智内供ぜんちないぐの鼻と云えば、いけで知らない者はない。長さは五六寸あって上唇うわくちびるの上からあごの下まで下っている。形は元も先も同じように太い。云わば細長い腸詰ちょうづめのような物が、ぶらりと顔のまん中からぶら下っているのである。
 五十歳を越えた内供は、沙弥しゃみの昔から、内道場供奉ないどうじょうぐぶの職にのぼった今日こんにちまで、内心では始終この鼻を苦に病んで来た。勿論もちろん表面では、今でもさほど気にならないような顔をしてすましている。これは専念に当来とうらい浄土じょうど渇仰かつぎょうすべき僧侶そうりょの身で、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。それよりむしろ、自分で鼻を気にしていると云う事を、人に知られるのが嫌だったからである。内供は日常の談話の中に、鼻と云う語が出て来るのを何よりもおそれていた。

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