2015年9月9日水曜日

芥川龍之介 『鼻』 09

芥川龍之介 『鼻』
Ryūnosuke Akutagawa The Nose


 弟子の僧は、内供が折敷の穴から鼻をぬくと、そのまだ湯気の立っている……





 弟子の僧は、内供が折敷の穴から鼻をぬくと、そのまだ湯気の立っている鼻を、両足に力を入れながら、踏みはじめた。内供は横になって、鼻を床板の上へのばしながら、弟子の僧の足が上下うえしたに動くのを眼の前に見ているのである。弟子の僧は、時々気の毒そうな顔をして、内供の禿げ頭を見下しながら、こんな事を云った。
 ――痛うはござらぬかな。医師はめて踏めと申したで。じゃが、痛うはござらぬかな。
 内供は首を振って、痛くないと云う意味を示そうとした。所が鼻を踏まれているので思うように首が動かない。そこで、上眼うわめを使って、弟子の僧の足にあかぎれのきれているのを眺めながら、腹を立てたような声で、
――痛うはないて。
 と答えた。実際鼻はむず痒い所を踏まれるので、痛いよりもかえって気もちのいいくらいだったのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿