2015年9月6日日曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 09-01

夏目漱石 『坊っちゃん』 九
Soseki Natsume Botchan

うらなり君の送別会のあるという日の朝、学校へ出たら、山嵐やまあらし突然とつぜん、君先だってはいか銀が来て、君が乱暴して困るから、どうか出るように話してくれとたのんだから、真面目まじめに受けて、君に出てやれと話したのだが、あとから聞いてみると、あいつはるいやつで、よく偽筆ぎひつ贋落款にせらっかんなどをして売りつけるそうだから、全く君の事も出鱈目でたらめちがいない。
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 うらなり君の送別会のあるという日の朝、学校へ出たら、山嵐やまあらし突然とつぜん、君先だってはいか銀が来て、君が乱暴して困るから、どうか出るように話してくれとたのんだから、真面目まじめに受けて、君に出てやれと話したのだが、あとから聞いてみると、あいつはるいやつで、よく偽筆ぎひつ贋落款にせらっかんなどをして売りつけるそうだから、全く君の事も出鱈目でたらめちがいない。君に懸物かけもの骨董こっとうを売りつけて、商売にしようと思ってたところが、君が取り合わないでもうけがないものだから、あんな作りごとをこしらえて胡魔化ごまかしたのだ。僕はあの人物を知らなかったので君に大変失敬した勘弁かんべんしたまえと長々しい謝罪をした。
 おれは何とも云わずに、山嵐の机の上にあった、一銭五りんをとって、おれの蝦蟇口がまぐちのなかへ入れた。山嵐は君それを引きめるのかと不審ふしんそうに聞くから、うんおれは君におごられるのが、いやだったから、是非返すつもりでいたが、その後だんだん考えてみると、やっぱり奢ってもらう方がいいようだから、引き込ますんだと説明した。山嵐は大きな声をしてアハハハと笑いながら、そんなら、なぜ早く取らなかったのだと聞いた。実は取ろう取ろうと思ってたが、何だかみょうだからそのままにしておいた。近来は学校へ来て一銭五厘を見るのが苦になるくらいいやだったと云ったら、君はよっぽど負けしみの強い男だと云うから、君はよっぽど剛情張ごうじょうっぱりだと答えてやった。それから二人の間にこんな問答がおこった。
「君は一体どこの産だ」
「おれは江戸えどっ子だ」
「うん、江戸っ子か、道理で負け惜しみが強いと思った」
「きみはどこだ」
「僕は会津あいづだ」
「会津っぽか、強情な訳だ。今日の送別会へ行くのかい」
「行くとも、君は?」
「おれは無論行くんだ。古賀さんが立つ時は、はままで見送りに行こうと思ってるくらいだ」
「送別会は面白いぜ、出て見たまえ。今日は大いに飲むつもりだ」
「勝手に飲むがいい。おれはさかなを食ったら、すぐ帰る。酒なんか飲む奴は馬鹿ばかだ」
「君はすぐ喧嘩けんかける男だ。なるほど江戸っ子の軽跳けいちょうな風を、よく、あらわしてる」
「何でもいい、送別会へ行く前にちょっとおれのうちへお寄り、はなしがあるから」


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