2015年9月25日金曜日

夏目漱石 『二百十日』 03-06

夏目漱石 『二百十日』 三
Natsume Sōseki
Nihyaku-tōka(The 210th Day) 

「御山へ御登りなさいますか」


前へ

「御山へ御登りなさいますか」
「うん、早く登りたくって、仕方がないんだ」と圭さんが云うと、
「僕は登りたくなくって、仕方がないんだ」と碌さんがわした。
「ホホホそれじゃ、あなただけ、ここへ御逗留なさいまっせ」
「うん、ここで寝転ねころんで、あのごうごう云う音を聞いている方がらくなようだ。ごうごうと云やあ、さっきより、だいぶはげしくなったようだぜ、君」
「そうさ、だいぶ、強くなった。夜のせいだろう」
「御山が少し荒れておりますたい」
「荒れると烈しく鳴るのかね」
「ねえ。そうしてよな、、がたくさんに降って参りますたい」
よな、、た何だい」
「灰でござりまっす」
 下女は障子をあけて、椽側えんがわ人指ひとさしゆびをりつけながら、
「御覧なさりまっせ」と黒い指先を出す。
「なるほど、始終しじゅう降ってるんだ。きのうは、こんなじゃなかったね」と圭さんが感心する。
「ねえ。少し御山が荒れておりますたい」
「おい君、いくら荒れても登る気かね。荒れ模様なら少々延ばそうじゃないか」
「荒れればなお愉快だ。滅多めったに荒れたところなんぞが見られるものじゃない。荒れる時と、荒れない時は火の出具合が大変違うんだそうだ。ねえ、姉さん」
「ねえ、今夜は大変赤く見えます。ちょと出て御覧なさいまっせ」
 どれと、圭さんはすぐ椽側へ飛び出す。


次へ

0 件のコメント:

コメントを投稿