夏目漱石 『坊っちゃん』 10-07
夏目漱石 『坊っちゃん』 十
Soseki Natsume Botchan
式の時はさほどでもなかったが、今度は大変な人出だ。田舎にもこんなに人間が住んでるかと驚ろいたぐらいうじゃうじゃしている。
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式の時はさほどでもなかったが、今度は大変な人出だ。田舎にもこんなに人間が住んでるかと驚ろいたぐらいうじゃうじゃしている。利口な顔はあまり見当らないが、数から云うとたしかに馬鹿に出来ない。そのうち評判の高知の何とか踴が始まった。踴というから藤間か何ぞのやる踴りかと早合点していたが、これは大間違いであった。
いかめしい後鉢巻をして、立っ付け袴を穿いた男が十人ばかりずつ、舞台の上に三列に並んで、その三十人がことごとく抜き身を携げているには魂消た。前列と後列の間はわずか一尺五寸ぐらいだろう、左右の間隔はそれより短いとも長くはない。たった一人列を離れて舞台の端に立ってるのがあるばかりだ。この仲間外れの男は袴だけはつけているが、後鉢巻は倹約して、抜身の代りに、胸へ太鼓を懸けている。太鼓は太神楽の太鼓と同じ物だ。この男がやがて、いやあ、はああと呑気な声を出して、妙な謡をうたいながら、太鼓をぼこぼん、ぼこぼんと叩く。歌の調子は前代未聞の不思議なものだ。三河万歳と普陀洛やの合併したものと思えば大した間違いにはならない。
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