森鴎外 『高瀬舟』
Mori Ōgai Takasebune
そういう罪人を載せて、
前へ
そういう罪人を載せて、入相の鐘の鳴るころにこぎ出された高瀬舟は、黒ずんだ京都の町の家々を両岸に見つつ、東へ走って、加茂川を横ぎって下るのであった。この舟の中で、罪人とその親類の者とは夜どおし身の上を語り合う。いつもいつも悔やんでも返らぬ繰り言である。護送の役をする同心は、そばでそれを聞いて、罪人を出した親戚眷族の悲惨な境遇を細かに知ることができた。所詮町奉行の白州で、表向きの口供を聞いたり、役所の机の上で、口書を読んだりする役人の夢にもうかがうことのできぬ境遇である。
同心を勤める人にも、いろいろの性質があるから、この時ただうるさいと思って、耳をおおいたく思う冷淡な同心があるかと思えば、またしみじみと人の哀れを身に引き受けて、役がらゆえ気色には見せぬながら、無言のうちにひそかに胸を痛める同心もあった。場合によって非常に悲惨な境遇に陥った罪人とその親類とを、特に心弱い、涙もろい同心が宰領してゆくことになると、その同心は不覚の涙を禁じ得ぬのであった。
そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間で不快な職務としてきらわれていた。
同心を勤める人にも、いろいろの性質があるから、この時ただうるさいと思って、耳をおおいたく思う冷淡な同心があるかと思えば、またしみじみと人の哀れを身に引き受けて、役がらゆえ気色には見せぬながら、無言のうちにひそかに胸を痛める同心もあった。場合によって非常に悲惨な境遇に陥った罪人とその親類とを、特に心弱い、涙もろい同心が宰領してゆくことになると、その同心は不覚の涙を禁じ得ぬのであった。
そこで高瀬舟の護送は、町奉行所の同心仲間で不快な職務としてきらわれていた。
【入相の鐘】
晩鐘.日暮れに寺で突くかね.勤行(読経・礼拝)の時間の合図である.
【加茂川】
京都市中のやや東部を貫く川.鴨川
【眷族/眷属】
親戚.親子関係からなる血族と婚姻関係による姻族.親戚眷属は同じ言葉を重ねた熟語.
【白州/白洲】
奉行所の法定(小石を敷き詰めたところ).百姓や町人のような身分の低いものが着席する場所(身分が高いと縁側に座る).
【口供】
罪人や被告が高等で行う供述.
【口書】
江戸時代の訴訟文章で,被疑者や関係者の調書.「口書」は百姓町人のからとった供述で,身分の高い武士や僧侶の供述調書は「口上書(こうじょうがき)」といった.
【宰領/才領】
かしらだって取り締まりや処理をすること.監督すること.あるいはそれらをする人.
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