2015年9月7日月曜日

森鴎外 『高瀬舟』 01-02


森鴎外 『高瀬舟』
Mori Ōgai Takasebune
 
そういう罪人を載せて、入相の鐘の鳴るころにこぎ出された高瀬舟は、……


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 そういう罪人(ざいにん)()せて、入相(いりあい)(かね)()るころにこぎ()された高瀬(たかせ)(ぶね)は、(くろ)ずんだ京都(きょうと)(まち)家々(いえいえ)両岸(りょうがん)()つつ、(ひがし)(はし)って、加茂川(かもがわ)(よこ)ぎって(くだ)るのであった。この(ふね)(なか)で、罪人(ざいにん)とその親類(しんるい)(もの)とは()どおし()(うえ)(かた)()。いつもいつも()やんでも(かえ)らぬ()(ごと)である。護送(ごそう)(やく)をする同心(どうしん)は、そばでそれを()いて、罪人(ざいにん)()した親戚(しんせき)眷族(けんぞく)悲惨(ひさん)境遇(きょうぐう)(こま)かに()ることができた。所詮(しょせん)(まち)奉行(ぶぎょう)白州(しらす)で、表向(おもてむ)きの口供(こうきょう)()いたり、役所(やくしょ)(つくえ)(うえ)で、口書(くちがき)()んだりする役人(やくにん)(ゆめ)にもうかがうことのできぬ境遇(きょうぐう)である。
 同心(どうしん)(つと)める(ひと)にも、いろいろの性質(せいしつ)があるから、この(とき)ただうるさいと(おも)(みみ)をおおいたく(おも)(れい)(たん)同心(どうしん)があるかと(おも)えば、またしみじみと(ひと)(あわ)れを()()()けて、(やく)がらゆえ気色(けしき)には()せぬながら、無言(むごん)のうちにひそかに(むね)(いた)める同心(どうしん)もあった。場合(ばあい)によって非常(ひじょう)悲惨(ひさん)境遇(きょうぐう)(おちい)った罪人(ざいにん)とその親類(しんるい)とを、(とく)心弱(こころよわ)い、(なみだ)もろい同心(どうしん)宰領(さいりょう)してゆくことになると、その同心(どうしん)不覚(ふかく)(なみだ)(きん)()ぬのであった。
 そこで高瀬(たかせ)(ぶね)護送(ごそう)は、(まち)奉行所(ぶぎょうしょ)同心(どうしん)仲間(なかま)不快(ふかい)職務(しょくむ)としてきらわれていた。


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【入相の鐘】
 晩鐘.日暮れに寺で突くかね.勤行(読経・礼拝)の時間の合図である.

【加茂川】
京都市中のやや東部を貫く川.鴨川

【眷族/眷属】
 親戚.親子関係からなる血族と婚姻関係による姻族.親戚眷属は同じ言葉を重ねた熟語.

【白州/白洲】
 奉行所の法定(小石を敷き詰めたところ).百姓や町人のような身分の低いものが着席する場所(身分が高いと縁側に座る).

【口供】
 罪人や被告が高等で行う供述.

【口書】
 江戸時代の訴訟文章で,被疑者や関係者の調書.「口書」は百姓町人のからとった供述で,身分の高い武士や僧侶の供述調書は「口上書(こうじょうがき)」といった.

【宰領/才領】
 かしらだって取り締まりや処理をすること.監督すること.あるいはそれらをする人.

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