2015年1月5日月曜日

芥川龍之介 『羅生門 』 01

芥川龍之介 『羅生門』
Ryūnosuke Akutagawa Rashōmon

ある日の暮方の事である。一人の下人げにんが、羅生門らしょうもんの下で雨やみを待っ……


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 ある日の暮方の事である。一人の下人げにんが、羅生門らしょうもんの下で雨やみを待っていた。
 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗にぬりげた、大きな円柱まるばしらに、蟋蟀きりぎりすが一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路すざくおおじにある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠いちめがさ揉烏帽子もみえぼしが、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
 何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風つじかぜとか火事とか饑饉ききんとか云うわざわいがつづいて起った。そこで洛中らくちゅうのさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、そのがついたり、金銀のはくがついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、たきぎしろに売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸こりむ。盗人ぬすびとが棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。

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【暮方】
 日が暮れかかっている頃.

【下人】
 社会的身分の低い者.平安時代においての隷属民(売買の対象になる).荘園領主などの農業や日常雑務,非常時の兵としてつかわれた.
 小説の下人は主家が落ちぶれて,居場所を失ったものと思われる.自由になったとも言えるが,生活する術を持っていないようである.

【羅生門】
 平安京の正門の羅城門(らじょうもん)のことで,都の中心を南北に貫く朱雀大路(すざくおおじ)の南に位置する.後世の当て字である「羅生門」と表記されることが多かったが,「城」ではなく「生」の文字を使ったことに作者の意図があるという人もいる.

【丹塗り】
 赤色の顔料丹(朱(しゅ))で塗ること.
 丹は辰砂(しんしゃ)で,赤色の土である.古くは三重県多気町(伊勢国丹生(いせのくににう))などが産出地であった.辰砂は硫化水銀(II)を成分としている.水銀というと水俣病などで毒性が広く知られているが,公害で問題になったのは人体に吸収されやすい有機水銀である.一方,硫化水銀や歯科で用いられるアマルガム(銀の詰め物)などは吸収されにくいので安全であると見なされている.印鑑に用いる朱肉の色も辰砂によるものである.
 古来より朱には魔除けの力があるとされていたので,朱色は多く使われていた.事実,朱色には硫化水銀の効果により防虫や防腐効果があった.不老長寿の秘薬としても用いられていた
 西洋の錬金術に対して東洋では錬丹術というものがあったが,これは硫化水銀(II)から水銀を精錬したことが由来である.

【蟋蟀(きりぎりす)】
 作者が描いた虫は何であるのかは不明である..
 近世までは,セミも含めておよそ鳴く虫すべてが「蟋蟀」であった(読み方は「こおろぎ」?).コオロギのことを「きりぎりす」と呼び,キリギリスのことを「はたおり」と呼ばれていたとも言われているので,正直よくわからない.
 有名な唱歌『虫の声』でもキリキリ鳴くのが「きりぎりす」か「こうもり」かで歌詞が二通りあるようである.二種の虫の鳴き声を聞いてもどちらがキリキリに近いかを判断するのは難しいし,第一,キリギリスにしろコオロギにしろ種類がたくさんいるのである.
 一般的なイメージではキリギリスはバッタのようなもので緑色をしており,コオロギは黒っぽい.

【朱雀大路】
 平安京の大内裏から羅城門までの南北を貫く中心軸の道路であった.朱雀大路は幅84メートルであった.通行のため幅をもたせたわけではなく,行事をおこなうためであった.
 京都市中心部は今でも平安京と同じ碁盤の目の区割りだが,当時のものがそのまま受け継がれているわけでない.例えば現代の道路は当時の道路よりも狭い,当時の道路は小路でさえ12メートルほどあったし,朱雀大路があったのは今の千本通だが見る影はない.そもそも平安京の最重要施設であった大内裏は火災の末,荒れ地となっている.今に受け継がれる市中の形は平安時代の貴族文化によって作られたものではなく,その後の時代特に応仁の乱以後の町人文化によってできたものである.
 今も残る東寺に対して朱雀大路に対称な西寺があった.平安京のお上による整備が滞るようになると,京の西よりも東が栄えるようになった.いまの京都市の中心軸も朱雀大路から見て東に位置する烏丸通りである.

【市女笠】
 菅や竹皮で編んだ笠で中央部が高くなっているもの.もともと市女が用いた笠であったが,男女共に貴族が外出時に顔を隠すために用いた.

【揉烏帽子】
 もんで柔らかく作った烏帽子

【辻風】
 つむじかぜ(旋風).渦巻くように吹き上がる風.
 ここでは大旋風(竜巻)のことに違いない.

【饑饉/飢饉】
 農作物の不作による,食物が不足して,人々が飢え苦しむこと.食料ではなく物資が非常に不足する場合に用いることもある.

【災】
 地震,辻風,火事,飢饉のことで,平安末期に起こったのは次の通りである.

1134 長承の飢饉
1155 地震
1155 久寿の飢饉
1172 洪水
1177 安元の大火(太郎焼亡)
1178 治承の大火(次郎焼亡)
1179 地震
1181 養和の大飢饉


【洛中】
【狐狸】

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