森鴎外 『高瀬舟』
Mori Ōgai Takasebune
喜助はことばをついだ。「お恥ずかしい事を申し上げなくてはなりませ……
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喜助はことばをついだ。「お恥ずかしい事を申し上げなくてはなりませぬが、わたくしは今日まで二百文というお足を、こうしてふところに入れて持っていたことはございませぬ。どこかで仕事に取りつきたいと思って、仕事を尋ねて歩きまして、それが見つかり次第、骨を惜しまずに働きました。そしてもらった銭は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませなんだ。それも現金で物が買って食べられる時は、わたくしの工面のいい時で、たいていは借りたものを返して、またあとを借りたのでございます。それがお牢にはいってからは、仕事をせずに食べさせていただきます。わたくしはそればかりでも、お上に対して済まない事をいたしているようでなりませぬ。それにお牢を出る時に、この二百文をいただきましたのでございます。こうして相変わらずお上の物を食べていて見ますれば、この二百文はわたくしが使わずに持っていることができます。お足を自分の物にして持っているということは、わたくしにとっては、これが始めでございます。島へ行ってみますまでは、どんな仕事ができるかわかりませんが、わたくしはこの二百文を島でする仕事の本手にしようと楽しんでおります。」こう言って、喜助は口をつぐんだ。
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【足】
足があって歩くかのように渡っていくことからお金の意味がある.
(1)流通する金銭.
(2)出費や欠損.
(3)武士の知行(武士に与えられた土地,所領支配地),扶持(米で与えられる給料)
(4)利息.
(5)銀行の手形割引料.
【骨を惜しまず/骨身を惜しまず/骨身を削る】
労苦をいとわず一生懸命にすること.「骨を惜しむ」なら怠けること.
【右から左へ】
受け取ったものを手元にとどめる間もなく直ぐに他へ渡すこと.
【工面(くめん/ぐめん)】
(1)工夫(くふう).算段.特にお金の算段,なんとかお金をあつめること.
(2)財政状態.金回り
(3)相談.談合.
【元手】
資本金(自己資本).利益を得るための根本のお金や物.
【口をつぐむ】
黙る.「つぐむ」は閉じる意味.
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