2015年9月6日日曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 10-06

夏目漱石 『坊っちゃん』 十
Soseki Natsume Botchan

 おれと山嵐がしきりに赤シャツ退治の計略はかりごとを相談していると、宿の婆さんが出て来て、学校の生徒さんが一人、堀田ほった先生にお目にかかりたいてておでたぞなもし。
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 おれと山嵐がしきりに赤シャツ退治の計略はかりごとを相談していると、宿の婆さんが出て来て、学校の生徒さんが一人、堀田ほった先生にお目にかかりたいてておでたぞなもし。今お宅へ参じたのじゃが、お留守るすじゃけれ、大方ここじゃろうててさがし当ててお出でたのじゃがなもしと、しきいの所へひざいて山嵐の返事を待ってる。山嵐はそうですかと玄関げんかんまで出て行ったが、やがて帰って来て、君、生徒が祝勝会の余興を見に行かないかってさそいに来たんだ。今日は高知こうちから、何とかおどりをしに、わざわざここまで多人数たにんず乗り込んで来ているのだから、是非見物しろ、めったに見られないおどりだというんだ、君もいっしょに行ってみたまえと山嵐は大いに乗り気で、おれに同行を勧める。おれは踴なら東京でたくさん見ている。毎年八幡様はちまんさまのお祭りには屋台が町内へ廻ってくるんだから汐酌しおくみでも何でもちゃんと心得ている。土佐っぽの馬鹿踴なんか、見たくもないと思ったけれども、せっかく山嵐が勧めるもんだから、つい行く気になって門へ出た。山嵐を誘いに来たものは誰かと思ったら赤シャツの弟だ。みょうやつが来たもんだ。
 会場へはいると、回向院えこういん相撲すもう本門寺ほんもんじ御会式おえしきのように幾旒いくながれとなく長い旗を所々に植え付けた上に、世界万国の国旗をことごとく借りて来たくらい、なわから縄、つなから綱へわたしかけて、大きな空が、いつになくにぎやかに見える。東のすみに一夜作りの舞台ぶたいを設けて、ここでいわゆる高知の何とか踴りをやるんだそうだ。舞台を右へ半町ばかりくると葭簀よしずの囲いをして、活花いけばな陳列ちんれつしてある。みんなが感心して眺めているが、一向くだらないものだ。あんなに草や竹を曲げてうれしがるなら、背虫の色男や、びっこ亭主ていしゅを持って自慢じまんするがよかろう。
 舞台とは反対の方面で、しきりに花火を揚げる。花火の中から風船が出た。帝国万歳ていこくばんざいとかいてある。天主の松の上をふわふわ飛んで営所のなかへ落ちた。次はぽんと音がして、黒い団子が、しょっと秋の空を射抜いぬくようにがると、それがおれの頭の上で、ぽかりと割れて、青いけむりかさの骨のように開いて、だらだらと空中に流れ込んだ。風船がまた上がった。今度は陸海軍万歳と赤地に白く染め抜いた奴が風に揺られて、温泉の町から、相生村あいおいむらの方へ飛んでいった。大方観音様の境内けいだいへでも落ちたろう。


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