夏目漱石 『坊っちゃん』 10-06
夏目漱石 『坊っちゃん』 十
Soseki Natsume Botchan
おれと山嵐がしきりに赤シャツ退治の計略を相談していると、宿の婆さんが出て来て、学校の生徒さんが一人、堀田先生にお目にかかりたいててお出でたぞなもし。
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おれと山嵐がしきりに赤シャツ退治の計略を相談していると、宿の婆さんが出て来て、学校の生徒さんが一人、堀田先生にお目にかかりたいててお出でたぞなもし。今お宅へ参じたのじゃが、お留守じゃけれ、大方ここじゃろうてて捜し当ててお出でたのじゃがなもしと、閾の所へ膝を突いて山嵐の返事を待ってる。山嵐はそうですかと玄関まで出て行ったが、やがて帰って来て、君、生徒が祝勝会の余興を見に行かないかって誘いに来たんだ。今日は高知から、何とか踴りをしに、わざわざここまで多人数乗り込んで来ているのだから、是非見物しろ、めったに見られない踴だというんだ、君もいっしょに行ってみたまえと山嵐は大いに乗り気で、おれに同行を勧める。おれは踴なら東京でたくさん見ている。毎年八幡様のお祭りには屋台が町内へ廻ってくるんだから汐酌みでも何でもちゃんと心得ている。土佐っぽの馬鹿踴なんか、見たくもないと思ったけれども、せっかく山嵐が勧めるもんだから、つい行く気になって門へ出た。山嵐を誘いに来たものは誰かと思ったら赤シャツの弟だ。妙な奴が来たもんだ。
会場へはいると、回向院の相撲か本門寺の御会式のように幾旒となく長い旗を所々に植え付けた上に、世界万国の国旗をことごとく借りて来たくらい、縄から縄、綱から綱へ渡しかけて、大きな空が、いつになく賑やかに見える。東の隅に一夜作りの舞台を設けて、ここでいわゆる高知の何とか踴りをやるんだそうだ。舞台を右へ半町ばかりくると葭簀の囲いをして、活花が陳列してある。みんなが感心して眺めているが、一向くだらないものだ。あんなに草や竹を曲げて嬉しがるなら、背虫の色男や、跛の亭主を持って自慢するがよかろう。
舞台とは反対の方面で、しきりに花火を揚げる。花火の中から風船が出た。帝国万歳とかいてある。天主の松の上をふわふわ飛んで営所のなかへ落ちた。次はぽんと音がして、黒い団子が、しょっと秋の空を射抜くように揚がると、それがおれの頭の上で、ぽかりと割れて、青い烟が傘の骨のように開いて、だらだらと空中に流れ込んだ。風船がまた上がった。今度は陸海軍万歳と赤地に白く染め抜いた奴が風に揺られて、温泉の町から、相生村の方へ飛んでいった。大方観音様の境内へでも落ちたろう。
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