2015年9月6日日曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 11-02

夏目漱石 『坊っちゃん』 十一
Soseki Natsume Botchan

 おれは新聞を丸めて庭へげつけたが、それでもまだ気に入らなかったから、わざわざ後架こうかへ持って行っててて来た。

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 おれは新聞を丸めて庭へげつけたが、それでもまだ気に入らなかったから、わざわざ後架こうかへ持って行っててて来た。新聞なんて無暗むやみうそくもんだ。世の中に何が一番法螺ほらくと云って、新聞ほどの法螺吹きはあるまい。おれの云ってしかるべき事をみんなむこうでならべていやがる。それに近頃東京から赴任した生意気な某とは何だ。天下に某と云う名前の人があるか。考えてみろ。これでもれっきとしたせいもあり名もあるんだ。系図が見たけりゃ、多田満仲ただのまんじゅう以来の先祖を一人ひとり残らず拝ましてやらあ。――顔を洗ったら、ほっぺたが急に痛くなった。婆さんに鏡をかせと云ったら、けさの新聞をお見たかなもしと聞く。読んで後架へ棄てて来た。欲しけりゃ拾って来いと云ったら、おどろいて引き下がった。鏡で顔を見ると昨日きのうと同じように傷がついている。これでも大事な顔だ、顔へ傷まで付けられた上へ生意気なる某などと、某呼ばわりをされればたくさんだ。
 今日の新聞に辟易へきえきして学校を休んだなどと云われちゃ一生の名折れだから、飯を食っていの一号に出頭した。出てくるやつも、出てくる奴もおれの顔を見て笑っている。何がおかしいんだ。貴様達にこしらえてもらった顔じゃあるまいし。そのうち、野だが出て来て、いや昨日はお手柄てがらで、――名誉めいよのご負傷でげすか、と送別会の時になぐった返報と心得たのか、いやにひやかしたから、余計な事を言わずに絵筆でもめていろと云ってやった。するとこりゃ恐入おそれいりやした。しかしさぞお痛い事でげしょうと云うから、痛かろうが、痛くなかろうがおれの面だ。貴様の世話になるもんかと怒鳴どなりつけてやったら、むこう側の自席へ着いて、やっぱりおれの顔を見て、となりの歴史の教師と何か内所話をして笑っている。


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