2015年9月6日日曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 10-09

夏目漱石 『坊っちゃん』 十
Soseki Natsume Botchan

 おれと山嵐が感心のあまりこの踴を余念なく見物していると、半町ばかり、向うの方で急にわっと云う鬨の声がして、今までおだやかに諸所を縦覧していた連中が、にわかに波を打って、右左りにうごき始める。
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 おれと山嵐が感心のあまりこの踴を余念なく見物していると、半町ばかり、向うの方で急にわっと云う鬨の声がして、今までおだやかに諸所を縦覧していた連中が、にわかに波を打って、右左りにうごき始める。喧嘩だ喧嘩だと云う声がすると思うと、人のそでくぐけて来た赤シャツの弟が、先生また喧嘩です、中学の方で、今朝けさ意趣返いしゅがえしをするんで、また師範しはんの奴と決戦を始めたところです、早く来て下さいと云いながらまた人の波のなかへもぐんでどっかへ行ってしまった。
 山嵐は世話の焼ける小僧だまた始めたのか、いい加減にすればいいのにと逃げる人をけながら一散にけ出した。見ている訳にも行かないから取りしずめるつもりだろう。おれは無論の事逃げる気はない。山嵐のかかとを踏んであとからすぐ現場へ馳けつけた。喧嘩は今が真最中まっさいちゅうである。師範の方は五六十人もあろうか、中学はたしかに三割方多い。師範は制服をつけているが、中学は式後大抵たいていは日本服に着換きがえているから、敵味方はすぐわかる。しかし入り乱れて組んづ、ほごれつ戦ってるから、どこから、どう手を付けて引き分けていいか分らない。山嵐は困ったなと云う風で、しばらくこの乱雑な有様を眺めていたが、こうなっちゃ仕方がない。巡査じゅんさがくると面倒だ。飛び込んで分けようと、おれの方を見て云うから、おれは返事もしないで、いきなり、一番喧嘩のはげしそうな所へおどんだ。せ止せ。そんな乱暴をすると学校の体面に関わる。よさないかと、出るだけの声を出して敵と味方の分界線らしい所をけようとしたが、なかなかそううまくは行かない。一二間はいったら、出る事も引く事も出来なくなった。目の前に比較的ひかくてき大きな師範生が、十五六の中学生と組み合っている。止せと云ったら、止さないかと師範生のかたを持って、無理に引き分けようとする途端とたんにだれか知らないが、下からおれの足をすくった。おれは不意を打たれてにぎった、肩を放して、横にたおれた。かたくつでおれの背中の上へ乗った奴がある。両手と膝を突いて下から、ね起きたら、乗った奴は右の方へころがり落ちた。起き上がって見ると、三間ばかり向うに山嵐の大きな身体が生徒の間にはさまりながら、止せ止せ、喧嘩は止せ止せと揉み返されてるのが見えた。おい到底駄目だと云ってみたが聞えないのか返事もしない。


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