2015年9月14日月曜日

夏目漱石 『二百十日』 01-06

夏目漱石 『二百十日』
Natsume Sōseki Nihyaku-tōka(The 210th Day) 


 隣り座敷の小手こて竹刀しないは双方ともおとなしくなって、



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 隣り座敷の小手こて竹刀しないは双方ともおとなしくなって、向うの椽側えんがわでは、六十余りのふとったじいさんが、丸いを柱にもたして、胡坐あぐらのまま、毛抜きであごひげを一本一本に抜いている。髯の根をうんとおさえて、ぐいと抜くと、毛抜は下へね返り、あごは上へり返る。まるで器械のように見える。
「あれは何日いくか掛ったら抜けるだろう」と碌さんが圭さんに質問をかける。
「一生懸命にやったら半日くらいで済むだろう」
「そうは行くまい」と碌さんが反対する。
「そうかな。じゃ一日いちんちかな」
「一日や二日ふつか奇麗きれいに抜けるならわけはない」
「そうさ、ことによると一週間もかかるかね。見たまえ、あの丁寧に顋をで廻しながら抜いてるのを」
「あれじゃ。古いのを抜いちまわないうちに、新しいのがえるかも知れないね」
「とにかく痛い事だろう」と圭さんは話頭わとうを転じた。
「痛いに違いないね。忠告してやろうか」
「なんて」
「よせってさ」
「余計な事だ。それより幾日いくか掛ったら、みんな抜けるか聞いて見ようじゃないか」
「うん、よかろう。君が聞くんだよ」
「僕はいやだ、君が聞くのさ」
「聞いてもいがつまらないじゃないか」
「だから、まあ、よそうよ」と圭さんは自己のもうしを惜気おしげもなし撤回した。



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