2015年9月9日水曜日

芥川龍之介 『鼻』 11

芥川龍之介 『鼻』
Ryūnosuke Akutagawa The Nose

 さて二度目に茹でた鼻を出して見ると、成程、いつになく短くなっている。こ……





 さて二度目に茹でた鼻を出して見ると、成程、いつになく短くなっている。これではあたりまえの鍵鼻と大した変りはない。内供はその短くなった鼻をでながら、弟子の僧の出してくれる鏡を、きまりが悪るそうにおずおずのぞいて見た。
 鼻は――あのあごの下まで下っていた鼻は、ほとんど嘘のように萎縮して、今はわずかに上唇の上で意気地なく残喘ざんぜんを保っている。所々まだらに赤くなっているのは、恐らく踏まれた時のあとであろう。こうなれば、もう誰もわらうものはないにちがいない。――鏡の中にある内供の顔は、鏡の外にある内供の顔を見て、満足そうに眼をしばたたいた。
 しかし、その日はまだ一日、鼻がまた長くなりはしないかと云う不安があった。そこで内供は誦経ずぎょうする時にも、食事をする時にも、暇さえあれば手を出して、そっと鼻の先にさわって見た。が、鼻は行儀ぎょうぎよく唇の上に納まっているだけで、格別それより下へぶら下って来る景色もない。それから一晩寝てあくる日早く眼がさめると内供はまず、第一に、自分の鼻を撫でて見た。鼻は依然として短い。内供はそこで、幾年にもなく、法華経ほけきょう書写の功を積んだ時のような、のびのびした気分になった。

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