2015年9月9日水曜日

芥川龍之介 『鼻』 05

芥川龍之介 『鼻』
Ryūnosuke Akutagawa The Nose

 それからまた内供は、絶えず人の鼻を気にしていた。池の尾の寺は、僧供……





 それからまた内供は、絶えず人の鼻を気にしていた。池の尾の寺は、僧供講説そうぐこうせつなどのしばしば行われる寺である。寺の内には、僧坊が隙なく建て続いて、湯屋では寺の僧が日毎に湯を沸かしている。従ってここへ出入する僧俗のたぐいも甚だ多い。内供はこう云う人々の顔を根気よく物色した。一人でも自分のような鼻のある人間を見つけて、安心がしたかったからである。だから内供の眼には、紺の水干すいかんも白の帷子かたびらもはいらない。まして柑子色こうじいろの帽子や、椎鈍しいにび法衣ころもなぞは、見慣れているだけに、有れども無きが如くである。内供は人を見ずに、ただ、鼻を見た。――しかし鍵鼻かぎばなはあっても、内供のような鼻は一つも見当らない。その見当らない事が度重なるに従って、内供の心は次第にまた不快になった。内供が人と話しながら、思わずぶらりと下っている鼻の先をつまんで見て、年甲斐としがいもなく顔を赤らめたのは、全くこの不快に動かされての所為しょいである。

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