2015年9月6日日曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 08-04

夏目漱石 『坊っちゃん』 八
Soseki Natsume Botchan

 おれには一向分らない。


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 おれには一向分らない。今より重大な責任と云えば、数学の主任だろうが、主任は山嵐だから、やっこさんなかなか辞職する気遣きづかいはない。それに、生徒の人望があるから転任や免職めんしょくは学校の得策であるまい。赤シャツの談話はいつでも要領を得ない。要領を得なくっても用事はこれで済んだ。それから少し雑談をしているうちに、うらなり君の送別会をやる事や、ついてはおれが酒を飲むかと云う問や、うらなり先生は君子で愛すべき人だと云う事や――赤シャツはいろいろ弁じた。しまいに話をかえて君俳句をやりますかと来たから、こいつは大変だと思って、俳句はやりません、さようならと、そこそこに帰って来た。発句ほっく芭蕉ばしょう髪結床かみいどこの親方のやるもんだ。数学の先生が朝顔やに釣瓶つるべをとられてたまるものか。
 帰ってうんと考え込んだ。世間には随分気の知れない男が居る。家屋敷はもちろん、勤める学校に不足のない故郷がいやになったからと云って、知らぬ他国へ苦労を求めに出る。それも花の都の電車がかよってる所なら、まだしもだが、日向の延岡とは何の事だ。おれは船つきのいいここへ来てさえ、一ヶ月立たないうちにもう帰りたくなった。延岡と云えば山の中も山の中も大変な山の中だ。赤シャツの云うところによると船から上がって、一日いちんち馬車へ乗って、宮崎へ行って、宮崎からまた一日いちんち車へ乗らなくっては着けないそうだ。名前を聞いてさえ、開けた所とは思えない。さると人とが半々に住んでるような気がする。いかに聖人のうらなり君だって、好んで猿の相手になりたくもないだろうに、何という物数奇ものずきだ。
 ところへあいかわらずばあさんが夕食ゆうめしを運んで出る。今日もまたいもですかいと聞いてみたら、いえ今日はお豆腐とうふぞなもしと云った。どっちにしたって似たものだ。


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