2015年9月6日日曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 09-07

夏目漱石 『坊っちゃん』 九
Soseki Natsume Botchan


 挨拶が済んだら、あちらでもチュー、こちらでもチュー、という音がする。おれも真似をしてしるを飲んでみたがまずいもんだ。

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 挨拶が済んだら、あちらでもチュー、こちらでもチュー、という音がする。おれも真似をしてしるを飲んでみたがまずいもんだ。口取くちとり蒲鉾かまぼこはついてるが、どす黒くて竹輪の出来損できそこないである。刺身さしみも並んでるが、厚くってまぐろの切り身を生で食うと同じ事だ。それでもとなり近所の連中はむしゃむしゃうまそうに食っている。大方江戸前の料理を食った事がないんだろう。
 そのうち燗徳利かんどくり頻繁ひんぱんに往来し始めたら、四方が急ににぎやかになった。野だ公は恭しく校長の前へ出てさかずきを頂いてる。いやな奴だ。うらなり君は順々に献酬けんしゅうをして、一巡周いちじゅんめぐるつもりとみえる。はなはだご苦労である。うらなり君がおれの前へ来て、一つ頂戴致しましょうと袴のひだを正して申し込まれたから、おれも窮屈にズボンのままかしこまって、一ぱい差し上げた。せっかく参って、すぐお別れになるのは残念ですね。ご出立しゅったつはいつです、是非浜までお見送りをしましょうと云ったら、うらなり君はいえご用おおのところ決してそれにはおよびませんと答えた。うらなり君が何と云ったって、おれは学校を休んで送る気でいる。
 それから一時間ほどするうちに席上は大分乱れて来る。まあ一ぱい、おや僕が飲めと云うのに……などと呂律ろれつまわりかねるのも一人二人ひとりふたり出来て来た。少々退屈たいくつしたから便所へ行って、昔風な庭を星明りにすかしてながめていると山嵐が来た。どうださっきの演説はうまかったろう。と大分得意である。大賛成だが一ヶ所気に入らないと抗議こうぎを申し込んだら、どこが不賛成だと聞いた。
「美しい顔をして人を陥れるようなハイカラ野郎は延岡にらないから……と君は云ったろう」
「うん」
「ハイカラ野郎だけでは不足だよ」


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