夏目漱石 『二百十日』 03-03
夏目漱石 『二百十日』 三
Natsume Sōseki
Nihyaku-tōka(The 210th Day)
「あの下女は異彩を放ってるね」と碌さんが云うと、圭さんは平気な顔を……
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「あの下女は異彩を放ってるね」と碌さんが云うと、圭さんは平気な顔をして、
「そうさ」と何の苦もなく答えたが、
「単純でいい女だ」とあとへ、持って来て、木に竹を接いだようにつけた。
「剛健な趣味がありゃしないか」
「うん。実際田舎者の精神に、文明の教育を施すと、立派な人物が出来るんだがな。惜しい事だ」
「そんなに惜しけりゃ、あれを東京へ連れて行って、仕込んで見るがいい」
「うん、それも好かろう。しかしそれより前に文明の皮を剥かなくっちゃ、いけない」
「皮が厚いからなかなか骨が折れるだろう」と碌さんは水瓜のような事を云う。
「折れても何でも剥くのさ。奇麗な顔をして、下卑た事ばかりやってる。それも金がない奴だと、自分だけで済むのだが、身分がいいと困る。下卑た根性を社会全体に蔓延させるからね。大変な害毒だ。しかも身分がよかったり、金があったりするものに、よくこう云う性根の悪い奴があるものだ」
「しかも、そんなのに限って皮がいよいよ厚いんだろう」
「体裁だけはすこぶる美事なものさ。しかし内心はあの下女よりよっぽどすれているんだから、いやになってしまう」
「そうかね。じゃ、僕もこれから、ちと剛健党の御仲間入りをやろうかな」
「無論の事さ。だからまず第一着にあした六時に起きて……」
「御昼に饂飩を食ってか」
「阿蘇の噴火口を観て……」
「癇癪を起して飛び込まないように要心をしてか」
「もっとも崇高なる天地間の活力現象に対して、雄大の気象を養って、齷齪たる塵事を超越するんだ」
「あんまり超越し過ぎるとあとで世の中が、いやになって、かえって困るぜ。だからそこのところは好加減に超越して置く事にしようじゃないか。僕の足じゃとうていそうえらく超越出来そうもないよ」
「弱い男だ」
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