2015年9月14日月曜日

夏目漱石 『二百十日』 01-03

夏目漱石 『二百十日』 一
Natsume Sōseki
Nihyaku-tōka(The 210th Day) 


 初秋はつあき日脚ひあしは、うそ寒く、遠い国の方へかたむいて、さびしい山里の空気が、……



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 初秋はつあき日脚ひあしは、うそ寒く、遠い国の方へかたむいて、さびしい山里の空気が、心細い夕暮れをうながすなかに、かあんかあんと鉄を打つ音がする。
「聞えるだろう」と圭さんが云う。
「うん」とろくさんは答えたぎり黙然もくねんとしている。隣りの部屋で何だか二人しきりに話をしている。
「そこで、その、相手が竹刀しないを落したんだあね。すると、その、ちょいと、小手こてを取ったんだあね」
「ふうん。とうとう小手を取られたのかい」
「とうとう小手を取られたんだあね。ちょいと小手を取ったんだが、そこがそら、竹刀しないを落したものだから、どうにも、こうにもしようがないやあね」
「ふうん。竹刀を落したのかい」
「竹刀は、そら、さっき、落してしまったあね」
「竹刀を落してしまって、小手を取られたら困るだろう」
「困らああね。竹刀も小手も取られたんだから」
 二人の話しはどこまで行っても竹刀と小手で持ち切っている。黙然もくねんとして、対坐たいざしていた圭さんと碌さんは顔を見合わして、にやりと笑った。

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【日脚/日足】
 (1)雲の切れ間などからもれる日光.
 (2)昼間の時間.太陽が空を東から西に移動する速さ.

【黙然(もくねん/もくぜん)】
 だまっているようす.

【竹刀】
 竹製の稽古刀.剣道に用いる.

【小手】
 (1)剣道で手首と肘の間を打つ決まり手の一つ.
 (2)鎧の一部.肩先から腕を覆う.

【対坐/対座】
 向い合って座ること.さしむかい.

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