2015年9月8日火曜日

森鴎外 『高瀬舟』 04-01


森鴎外 『高瀬舟』
Mori Ōgai Takasebune
 
 庄兵衛は喜助の顔をまもりつつまた、「喜助さん」と呼びかけた。今度は「さ……

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 庄兵衛は喜助の顔をまもりつつまた、「喜助さん」と呼びかけた。今度は「さん」と言ったが、これは充分の意識をもって称呼を改めたわけではない。その声がわが口から出てわが耳にるや否や、庄兵衛はこの称呼の不穏当なのに気がついたが、今さらすでに出たことばを取り返すこともできなかった。
「はい」と答えた喜助も、「さん」と呼ばれたのを不審に思うらしく、おそるおそる庄兵衛の気色けしきをうかがった。
 庄兵衛は少しの悪いのをこらえて言った。「いろいろの事を聞くようだが、お前が今度島へやられるのは、人をあやめたからだという事だ。おれについでにそのわけを話して聞せてくれぬか。」

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【充分/十分(じゅうぶん)】
 物事が満ち足りて不足や欠点がない様子.

【称呼(しょうこ)】
 呼び名.名前を呼ぶこと.

【不穏当(ふおんとう)】
 (1)不適切で,理にかなっていないこと.
 (2)穏やかでないこと.

【不審(ふしん)】
 疑わしく思うこと.

【間の悪い】
 (1)きまりが悪い.ばつが悪い.
 (2)運が悪い.

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