2015年9月14日月曜日

夏目漱石 『二百十日』 01-02

夏目漱石 『二百十日』 一

Natsume Sōseki
Nihyaku-tōka(The 210th Day) 

「それから鍛冶屋かじやの前で、馬のくつえるところを見て来たが実にたくみ……

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「それから鍛冶屋かじやの前で、馬のくつえるところを見て来たが実にたくみなものだね」
「どうも寺だけにしては、ちと、時間が長過ぎると思った。馬の沓がそんなに珍しいかい」
「珍らしくなくっても、見たのさ。君、あれに使う道具が幾通りあると思う」
「幾通りあるかな」
「あてて見たまえ」
「あてなくってもいから教えるさ」
「何でも七つばかりある」
「そんなにあるかい。何と何だい」
「何と何だって、たしかにあるんだよ。第一爪をはがすのみと、鑿をたたつちと、それから爪をけずる小刀と、爪をえぐみょうなものと、それから……」
「それから何があるかい」
「それから変なものが、まだいろいろあるんだよ。第一馬のおとなしいには驚ろいた。あんなに、削られても、刳られても平気でいるぜ」
「爪だもの。人間だって、平気で爪をるじゃないか」
「人間はそうだが馬だぜ、君」
「馬だって、人間だって爪に変りはないやね。君はよっぽど呑気のんきだよ」
「呑気だから見ていたのさ。しかし薄暗い所で赤い鉄を打つと奇麗きれいだね。ぴちぴち火花が出る」
「出るさ、東京の真中でも出る」
「東京の真中でも出る事は出るが、感じが違うよ。こう云う山の中の鍛冶屋は第一、音から違う。そら、ここまで聞えるぜ」

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【鍛冶屋】
 金属をうち鍛えて,武器や工具などの道具を作成する事業所.

【馬の沓】
 蹄鉄.馬の蹄(ひづめ)の底に打ち付け,蹄を摩耗や損傷などから保護する鉄具.

【鑿(のみ)】
 刃と柄からなる工具で木や石などを削るために用いる.

【槌(つち)】
 のみ(叩きのみ)とセットの工具で,槌でのみを叩いて材料を削る.
 慣用句「のみと言えば槌」はのみを持って来いといえば,槌も持ってくるように,気が利くことを意味する.

【小刀】
 小さい刀.ナイフ.


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