2015年4月6日月曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 02-07

夏目漱石 『坊っちゃん』 二

Soseki Natsume Botchan

 挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。



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 挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。これは文学士だそうだ。文学士と云えば大学の卒業生だからえらい人なんだろう。みょうに女のような優しい声を出す人だった。もっとも驚いたのはこの暑いのにフランネルの襯衣しゃつを着ている。いくらかうすい地には相違そういなくっても暑いには極ってる。文学士だけにご苦労千万な服装なりをしたもんだ。しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿ばかにしている。あとから聞いたらこの男は年が年中赤シャツを着るんだそうだ。妙な病気があった者だ。当人の説明では赤は身体からだに薬になるから、衛生のためにわざわざあつらえるんだそうだが、入らざる心配だ。そんならついでに着物もはかまも赤にすればいい。それから英語の教師に古賀こがとか云う大変顔色のるい男が居た。大概顔のあおい人はせてるもんだがこの男は蒼くふくれている。むかし小学校へ行く時分、浅井あさいたみさんと云う子が同級生にあったが、この浅井のおやじがやはり、こんな色つやだった。浅井は百姓ひゃくしょうだから、百姓になるとあんな顔になるかと清に聞いてみたら、そうじゃありません、あの人はうらなりの唐茄子とうなすばかり食べるから、蒼くふくれるんですと教えてくれた。それ以来蒼くふくれた人を見れば必ずうらなりの唐茄子を食ったむくいだと思う。この英語の教師もうらなりばかり食ってるにちがいない。もっともうらなりとは何の事か今もって知らない。清に聞いてみた事はあるが、清は笑って答えなかった。大方清も知らないんだろう。それからおれと同じ数学の教師に堀田ほったというのが居た。これはたくましい毬栗坊主いがぐりぼうずで、叡山えいざん悪僧あくそうと云うべき面構つらがまえである。人が叮寧ていねいに辞令を見せたら見向きもせず、やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給きたまえアハハハと云った。何がアハハハだ。そんな礼儀れいぎを心得ぬ奴の所へ誰が遊びに行くものか。おれはこの時からこの坊主に山嵐やまあらしという渾名あだなをつけてやった。漢学の先生はさすがにかたいものだ。昨日お着きで、さぞお疲れで、それでもう授業をお始めで、大分ご励精れいせいで、――とのべつに弁じたのは愛嬌あいきょうのあるおじいさんだ。画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾すきやの羽織を着て、扇子せんすをぱちつかせて、お国はどちらでげす、え? 東京? そりゃうれしい、お仲間が出来て……わたしもこれで江戸えどっ子ですと云った。こんなのが江戸っ子なら江戸には生れたくないもんだと心中に考えた。そのほか一人一人についてこんな事を書けばいくらでもある。しかし際限がないからやめる。

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