2015年4月5日日曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 02-02

夏目漱石 『坊っちゃん』 二
Soseki Natsume Botchan
 停車場はすぐ知れた切符きっぷ
も訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ……




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 停車場はすぐ知れた。切符きっぷも訳なく買った。乗り込んでみるとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。それから車をやとって、中学校へ来たら、もう放課後でだれも居ない。宿直はちょっと用達ようたしに出たと小使こづかいが教えた。随分ずいぶん気楽な宿直がいるものだ。校長でもたずねようかと思ったが、草臥くたびれたから、車に乗って宿屋へ連れて行けと車夫に云い付けた。車夫は威勢よく山城屋やましろやと云ううちへ横付けにした。山城屋とは質屋の勘太郎かんたろうの屋号と同じだからちょっと面白く思った。
 何だか二階の楷子段はしごだんの下の暗い部屋へ案内した。熱くって居られやしない。こんな部屋はいやだと云ったらあいにくみんなふさがっておりますからと云いながら革鞄をほうり出したまま出て行った。仕方がないから部屋の中へはいってあせをかいて我慢がまんしていた。やがて湯に入れと云うから、ざぶりと飛び込んで、すぐ上がった。帰りがけにのぞいてみるとすずしそうな部屋がたくさん空いている。失敬な奴だ。うそをつきゃあがった。それから下女がぜんを持って来た。部屋はつかったが、飯は下宿のよりも大分うまかった。給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったからあたり前だと答えてやった。膳を下げた下女が台所へいった時分、大きな笑い声がきこえた。くだらないから、すぐたが、なかなか寝られない。熱いばかりではない。騒々そうぞうしい。下宿の五倍ぐらいやかましい。うとうとしたらきよゆめを見た。清が越後えちご笹飴ささあめを笹ぐるみ、むしゃむしゃ食っている。笹は毒だからよしたらよかろうと云うと、いえこの笹がお薬でございますとって旨そうに食っている。おれがあきれ返って大きな口を開いてハハハハと笑ったら眼が覚めた。下女が雨戸を明けている。相変らず空の底がけたような天気だ。

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【停車場】
 鉄道の駅."Station"の訳は当初「停車場」であった.「駅」と呼ばれるようになったのは昭和になってからである.「駅」は律令時代に官道の一定区間ごとに置かれた施設で人夫や馬や船が常駐している宿舎であった.官道をいく官吏は駅で

【汽車】
 ここでは蒸気機関車.愛媛県の伊予鉄道には,「坊っちゃん列車」と呼ばれる,舞台となった時代の蒸気機関車が観光用に走っている.

【三銭】

【宿直】
 勤務先に宿泊して夜の番にあたること.「とのい」とも言う.現在,小・中学及び高校では施設に機械警備が構築されているので廃止されているのが普通である.台風時に避難所に指定されている学校では,職員(教頭)が泊まり込みをするという話を聞いたことがある.

【用達】
 用事.

【中学校】
 モデルとなったのは愛媛県尋常中学校(現在の県立松山東高等学校)である.夏目漱石が一年間赴任していた.藩校(明教館)の流れをくむ歴史ある学校である.
 なお『坂の上の雲』で描かれた秋山の兄弟や正岡子規の学校でもある.兄の秋山好古は藩校時代に学んでいるし,弟の秋山真之と正岡子規は愛媛県第一中学時代に学び,時期は違うが共に中退して東京に出て東大予備門に入っている.
 この二人は予備門で夏目漱石と同窓であったので,漱石にしてみたら卒業後に友達の母校に就職したということになるのは面白い.
 因みに好古が海軍元帥を固辞し,故郷の中学校校長を務めたのは私立北予中学校(現在の愛媛県立松山北高校)である.


【車】
 人力車

【車夫】
 人力車をひく者.

【屋号】
 家の名前(称号,通称).
 苗字(姓)を持つのは武士などの身分に限られていた時代に,商人や農民やが同名の混乱を避けるために,苗字のかわりにつけたのが屋号である.庶民も苗字を持つことが義務付けられた明治時代に屋号を苗字に用いた例も多い.

【梯子段】
 段ばしご.簡易な階段.階上の床まで立てかけた二本の木に踏み板を並べたようなもの.

【膳】
 出来上がった料理をのせて出す台.そしてその料理のこと.

【給仕】
 食事の席に控えて飲食の世話をすること.介護ではない.

【笹の毒】
 特にないと思うが.

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