2015年4月1日水曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 01-02

夏目漱石 『坊っちゃん』 一
Soseki Natsume Botchan


庭を東へ二十歩に行き尽つくすと、南上がりにいささかばかりの菜園が……



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 庭を東へ二十歩に行きつくすと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中まんなかくりの木が一本立っている。これは命より大事な栗だ。実の熟す
る時分は起き抜けに背戸せどを出て落ちた奴を拾ってきて、学校で食う。菜園の西側が山城屋やましろやという質屋しちやの庭続きで、この質屋に勘太郎かんたろうという十三四せがれが居た。勘太郎は無論弱虫である。弱虫のくせ四つ目垣よつめがきを乗りこえて、栗を盗みにくる。ある日の夕方折戸おりどかげかくれて、とうとう勘太郎をつらまえてやった。その時勘太郎みちを失って、一生懸命いっしょうけんめいに飛びかかってきた。むこうは二つばかり年上である。弱虫だが力は強い。はちの開いた頭を、こっちの胸へててぐいぐい押した拍子ひょうしに、勘太郎の頭がすべって、おれのあわせそでの中にはいった。邪魔じゃまになって手が使えぬから、無暗に手をったら、袖の中にある勘太郎の頭が、右左へぐらぐらなびいた。しまいに苦しがって袖の中から、おれの二のうでへ食い付いた。痛かったから勘太郎を垣根かきねへ押しつけておいて、足搦あしがらみをかけて向うへ倒してやった。山城屋の地面は菜園より六尺がた低い。勘太郎は四つ目垣を半分くずして、自分の領分へ真逆様まっさかさまに落ちて、ぐうと云った。勘太郎が落ちるときに、おれの袷の片袖がもげて、急に手が自由になった。その晩母が山城屋にびに行ったついでに袷の片袖も取り返して来た。

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【いささか】
 すこし,ほんのちょっと.

【背戸】
 勝手口,裏口.裏門.

【倅(せがれ)】
 年少の男.卑しめたり,へりくっだたりするときに用いる言葉.

【四つ目垣(よつめがき)】
 竹垣の一種.

【鉢の開いた頭】
 幅広の頭.「鉢」が頭の意味.

【袷(あわせ)】
 秋冬春に着る衣服.裏地付き.

【領分】
 領有している土地.勢力範囲.

【垣根(かきね)】
 (1)屋敷などの外側の囲い.主に低木などを植えた生垣(いけがき),竹で編んだものを言う.垣(かき).(2)垣と地面が接する根本.(3)障壁(比喩).

【足搦(あしがらみ/あしがら)】
 足をからめること.その技.

【尺(しゃく)】
 長さの単位.約30.3cm.寸(すん)は尺の十分の一,丈(じょう)は十倍.

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