2015年4月5日日曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 02-01

夏目漱石 『坊っちゃん』 二
Soseki Natsume Botchan


 ぶうとって汽船がとまると、はしけが岸をはなれて、ぎ寄せて来た。




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 ぶうとって汽船がとまると、はしけが岸をはなれて、ぎ寄せて来た。船頭はぱだかに赤ふんどしをしめている。野蛮やばんな所だ。もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見つめていてもがくらむ。事務員に聞いてみるとおれはここへ降りるのだそうだ。見るところでは大森おおもりぐらいな漁村だ。人を馬鹿ばかにしていらあ、こんな所に我慢がまんが出来るものかと思ったが仕方がない。威勢いせいよく一番に飛び込んだ。づいて五六人は乗ったろう。外に大きなはこを四つばかり積み込んで赤ふんは岸へ漕ぎもどして来た。おかへ着いた時も、いの一番に飛び上がって、いきなり、いそに立っていた鼻たれ小僧こぞうをつらまえて中学校はどこだと聞いた。小僧はぼんやりして、知らんがの、と云った。気の利かぬ田舎いなかものだ。ねこの額ほどな町内のくせに、中学校のありかも知らぬやつがあるものか。ところへみょうつつっぽうを着た男がきて、こっちへ来いと云うから、いて行ったら、港屋とか云う宿屋へ連れて来た。やな女が声をそろえてお上がりなさいと云うので、上がるのがいやになった。門口へ立ったなり中学校を教えろと云ったら、中学校はこれから汽車で二里ばかり行かなくっちゃいけないと聞いて、なお上がるのがいやになった。おれは、筒っぽうを着た男から、おれの革鞄かばんを二つ引きたくって、のそのそあるき出した。宿屋のものは変な顔をしていた。


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【汽船】
 蒸気船.その機関は,熱エネルギーで蒸気をつくり,その圧力で,ピストンを動かしで動力を得る仕組みである.
 特に燃料に石炭を用いている前世代の船のことである.大きな煙突(大型船ならば何本も並ぶ)があるのが特徴で,そこから黒い煙が昇る.
 現代の船(*「ヒュンダイの船」ではなく「げんだいの船」)の機関はディーゼルやガスタービンが主流で,その燃料は主に重油(C重油)である.排気の煙の量は大幅に減少したので,煙突は小さくなり,数も少なくなっている.客船の中には,往年の豪華客船に似せて,偽装の煙突を付けているものもある.今や煙突は径の小さなパイプでこと足りるが,客船の多くはその細い煙突の周りを太いカバーで多い煙突のように見せることで美観をよくしている.もっとも,この煙突のような部分(化粧煙突)は,船の所属を示すファンネルマークを着ける場所という役割を担っている.

【艀】
 艀船,伝馬船のこと.岸と停泊中の船(岸に近づけない)を往復して人や物を運ぶ.
 
【船頭】
 船の長.ここでの船は船頭が一人いて,漕ぐような小さな木造船だと思われる.

【大森】
 現在の東京都大田区の東部にある,旧大森区.かつては東京湾に面し,江戸時代に天領に指定された.浅草海苔が採れる漁村であり,農業も盛んであった.東海道の品川と川崎の間の街道でもあった.明治時代の1872年に新橋・横浜間に初の鉄道が開通し,大森にも鉄道が走った.現在この地区の中心である大森駅ができたのは4年後の1876年である.さらに1877年に汽車に乗ったモース大森貝塚を発見している.大正時代1923年に起きた関東大震災を逃れた都心の人々が移り住むようになり,地区の海側である東側に町工場が増えた.これに伴い徐々に漁業が衰退していき,戦後の高度成長期には積極的に海が埋め立てられ,京浜工業地帯の一画として工場が占めるようになった.現在,この地はマンションなどの住宅が開発されている.なお浅草海苔の養殖は行われていない.アサクサノリは絶滅危惧I類である.

【いの一番】
 まっさき.いろは歌で「い」が一番最初だったことが語源.

【猫の額】
 面積が狭いこと.

【筒っぽう/筒っぽ】
 筒袖の着物.筒袖は洋服と同じもので,袂がない.ねまきや仕事着であった.

【門口】
 門あるいは建物の出入り口.

【二里】
 7.9キロメートルほど.

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