2015年4月2日木曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 01-05


夏目漱石 『坊っちゃん』 一
Soseki Natsume Botchan

 その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っているきよという下女が、泣きながらおやじにあやまって、ようやくおやじのいかりが解けた。

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 その時はもう仕方がないと観念して先方の云う通り勘当されるつもりでいたら、十年来召し使っているきよという下女が、泣きながらおやじにあやまって、ようやくおやじのいかりが解けた。それにもかかわらずあまりおやじをこわいとは思わなかった。かえってこの清と云う下女に気の毒であった。この下女はもと由緒ゆいしょのあるものだったそうだが、瓦解がかいのときに零落れいらくして、つい奉公ほうこう
でするようになったのだと聞いている。だからばあさんである。この婆さんがどういう因縁いんえんか、おれを非常に可愛がってくれた。不思議なものである。母も死ぬ三日前に愛想あいそをつかした――おやじも年中持て余している――町内では乱暴者の悪太郎と爪弾つまはじきをする――このおれを無暗に珍重ちんちょうしてくれた。おれは到底とうてい人に好かれるたちでないとあきらめていたから、他人から木のはしのように取りあつかわれるのは何とも思わない、かえってこの清のようにちやほやしてくれるのを不審ふしんに考えた。清は時々台所で人の居ない時に「あなたはすぐでよいご気性だ」とめる事が時々あった。しかしおれには清の云う意味が分からなかった。い気性なら清以外のものも、もう少し善くしてくれるだろうと思った。清がこんな事を云う度におれはお世辞はきらいだと答えるのが常であった。すると婆さんはそれだから好いご気性ですと云っては、嬉しそうにおれの顔をながめている。自分の力でおれを製造してほこってるように見える。少々気味がわるかった。

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【下女(げじょ)
 (1)炊事などの雑事を行う召し使いの女性.(2)身分の低い女性

【由緒のある】
 りっぱな来歴がある.由緒が,物事の今に至るゆえんや来歴,あるいは縁やゆかりの意味.

【瓦解(がかい)
 一部の崩れから全体が崩れてしまうこと.屋根の瓦(かわら)が崩れ落ちる様子をもとにした言葉.ここでは江戸幕府が倒された時のことだと思われる.

【零落(れいらく)
 おちぶれること.草木の花が枯れ落ちることがもともとの意味.

【奉公(ほうこう)
 (1)他家で召し使われてはたらくこと.(2)国家などのために身を捧げる.

【因縁(いんえん/いんねん)
 (1)直接原因である因(いん)と関節原因である縁(えん)によってこの世の出来事が定まるという考え方.仏教用語.(2)前世から定まったような運命.(3)運命による関係や縁.(4)来歴.(5)言いがかり

【愛想をつかす】
 いやになってとりあわない

【爪弾き(つまはじき)
 嫌ってののけものにする.指を弾いて不満を表す動作から来ている言葉.

【珍重】
 珍しくて大切

【木の端】
 (1)木のように人情を理解しないもの,特に僧侶や尼のこと,取るに足りない者.(2)役に立たないもの.

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