2015年4月5日日曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 02-03


夏目漱石 『坊っちゃん』 二
Soseki Natsume Botchan


 道中どうちゅうをしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末……



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 道中どうちゅうをしたら茶代をやるものだと聞いていた。茶代をやらないと粗末そまつに取り扱われると聞いていた。こんな、せまくて暗い部屋へし込めるのも茶代をやらないせいだろう。見すぼらしい服装なりをして、ズックの革鞄と毛繻子けじゅす蝙蝠傘こうもりを提げてるからだろう。田舎者の癖に人を見括みくびったな。一番茶代をやっておどろかしてやろう。おれはこれでも学資のあまりを三十円ほどふところに入れて東京を出て来たのだ。汽車と汽船の切符代と雑費を差し引いて、まだ十四円ほどある。みんなやったってこれからは月給をもらうんだから構わない。田舎者はしみったれだから五円もやればおどろいて眼をまわすにきまっている。どうするか見ろとすまして顔を洗って、部屋へ帰って待ってると、夕べの下女が膳を持って来た。ぼんを持って給仕をしながら、やににやにや笑ってる。失敬な奴だ。顔のなかをお祭りでも通りゃしまいし。これでもこの下女のつらよりよっぽど上等だ。飯を済ましてからにしようと思っていたが、しゃくさわったから、中途ちゅうとで五円さつを一まい出して、あとでこれを帳場へ持って行けと云ったら、下女は変な顔をしていた。それから飯を済ましてすぐ学校へ出懸でかけた。くつみがいてなかった。

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【道中】
 たび,旅行.

【粗末に】
 いい加減に.おろそかに扱うこと.

【見すぼらしい/見窄らしい】
 身なりが悪い.

【ズック】
 麻や木綿で厚く織られた平織物.船の帆や鞄や靴に用いる.小学生が校内で履く化繊ではない方の上履きや体育館のマットの生地.北陸や東北の方言では上履き全般を意味するのも,小学校の上履きからきているのでは?ズックはオランダ語由来の言葉で,ズックで作られた靴はズック靴と呼ばれる.

【毛繻子】
 繻子(サテン/本繻子)は,特に絹を用いた織物で,経糸か緯糸のどちらか一方をより表面に表れるように織ることで光沢があり肌触り滑らかにさせている.毛繻子も光沢と滑らかさを兼ね備えているが,折り方は繻子ではなく,綿を経糸,毛糸を緯糸にしておった綾織(あやおり)の織物である.

【蝙蝠傘】
 今の一般的な傘.洋傘.広げた形がコウモリの羽のように見えるから.和傘は広げると丸く見えるが,洋傘は骨が少ないので,縁が弧を描いたようになるからか.

【見括る/見縊る】
 軽く見る.馬鹿にする.あなどる.

【学資】
 学費.学問の修業のための費用.

【雑費】
 こまごまとした取るに足らない費用.

【月給】
 月単位の賃金.

【失敬】
 (1)敬意を欠くこと.
 (2)だまって持っていくこと.
 (3)別れること.

【癪に障る】
 腹が立つ.癇癪(かんしゃく)を起こす.

【中途】
 途中.

【五円】
 10万円くらいか.

【帳場】
 会計をする場所.

【靴を磨く】
 旅館などの靴を脱いで上がる日本式の宿では,下足番が靴を管理し,革靴なら磨いておいてくれるサービスがある.

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