2015年4月7日火曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 03-05

夏目漱石 『坊っちゃん』 三
Soseki Natsume Botchan

 そのうち学校もいやになった。




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 そのうち学校もいやになった。ある日の晩大町おおまちと云う所を散歩していたら郵便局のとなりに蕎麦そばとかいて、下に東京と注を加えた看板があった。おれは蕎麦が大好きである。東京にった時でも蕎麦屋の前を通って薬味のにおいをかぐと、どうしても暖簾のれんがくぐりたくなった。今日までは数学と骨董で蕎麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りが出来なくなる。ついでだから一杯食って行こうと思って上がり込んだ。見ると看板ほどでもない。東京とことわる以上はもう少し奇麗にしそうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、滅法めっぽうきたない。たたみは色が変ってお負けに砂でざらざらしている。かべすす真黒まっくろだ。天井てんじょうはランプの油烟ゆえんくすぼってるのみか、低くって、思わず首を縮めるくらいだ。ただ麗々と蕎麦の名前をかいて張り付けたねだん付けだけは全く新しい。何でも古いうちを買って二三日にさんち前から開業したにちがいなかろう。ねだん付の第一号に天麩羅てんぷらとある。おい天麩羅を持ってこいと大きな声を出した。するとこの時まですみの方に三人かたまって、何かつるつる、ちゅうちゅう食ってた連中れんじゅうが、ひとしくおれの方を見た。部屋へやが暗いので、ちょっと気がつかなかったが顔を合せると、みんな学校の生徒である。先方で挨拶あいさつをしたから、おれも挨拶をした。その晩はひさぶりに蕎麦を食ったので、うまかったから天麩羅を四杯たいらげた。

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