2015年4月3日金曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 01-09


夏目漱石 『坊っちゃん』 一
Soseki Natsume Botchan

 母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。





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 母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があってかなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立しゅったつすると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介やっかいになる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すにきまっている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟かくごをした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多がらくた二束三文にそくさんもんに売った。家屋敷いえやしきはある人の周旋しゅうせんである金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、くわしい事は一向知らぬ。おれは一ヶ月以前から、しばらく前途の方向のつくまで神田の小川町おがわまちへ下宿していた。清は十何年居たうちが人手にわたるのを大いに残念がったが、自分のものでないから、仕様がなかった。あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここがご相続が出来ますものをとしきりに口説いていた。もう少し年をとって相続が出来るものなら、今でも相続が出来るはずだ。婆さんはなんにも知らないから年さえ取れば兄の家がもらえると信じている。

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【卒中(そっちゅう)】
 脳卒中のこと.卒中風(そっちゅうふう)の略.脳血管障害(脳梗塞,脳出血,クモ膜下出血,一過性脳虚血発作など)が急激に起こるときの一般的での呼び方.旧に意識がなくなったり,半身が麻痺したり,言語障害が出たりする.突然死や過労あるいは高血圧,気性が激しいというイメージもあるが,ここではそこまでわからない.日本人の死亡原因の3番目に多いものと分類される病である.

【二束三文(にそくさんもん)】
 値段が極めて安いこと,あるいはその安いもの.ものを投げ売りにするときによく用いる.(江戸時代,金剛草履の値段が2束で3文あったことが由来.)

【口がある】
 就職先がある.口が就職口や縁談先の意味.

【出立】
 出発.旅立ち.

【厄介】
 面倒を見ること.世話をすること.

【なまじい/なまじ】
 よせばいいのに中途半端にも.中途半端な様子.いい加減な様子.

【周旋】
 仲介,あっせん,とりまとめの意味.周旋業は今で言う不動産を売買する不動産屋や労働者を雇用先にあっせんする人材紹介会社のようなもの.

【金満家】
金持ち.

【相続】
先代に変わって引き継ぐこと.

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