2015年9月5日土曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 06-01

夏目漱石 『坊っちゃん』 六
Soseki Natsume Botchan

 野だは大嫌だいきらいだ。


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 野だは大嫌だいきらいだ。こんなやつ沢庵石たくあんいしをつけて海の底へしずめちまう方が日本のためだ。赤シャツは声が気に食わない。あれは持前の声をわざと気取ってあんな優しいように見せてるんだろう。いくら気取ったって、あの面じゃ駄目だめだ。れるものがあったってマドンナぐらいなものだ。しかし教頭だけに野だよりむずかしい事をう。うちへ帰って、あいつの申し条を考えてみると一応もっとものようでもある。はっきりとした事は云わないから、見当がつきかねるが、何でも山嵐やまあらしがよくない奴だから用心しろと云うのらしい。それならそうとはっきり断言するがいい、男らしくもない。そうして、そんなるい教師なら、早く免職めんしょくさしたらよかろう。教頭なんて文学士のくせ意気地いくじのないもんだ。蔭口かげぐちをきくのでさえ、公然と名前が云えないくらいな男だから、弱虫にまってる。弱虫は親切なものだから、あの赤シャツも女のような親切ものなんだろう。親切は親切、声は声だから、声が気に入らないって、親切を無にしちゃ筋がちがう。それにしても世の中は不思議なものだ、虫の好かない奴が親切で、気のあった友達が悪漢わるものだなんて、人を馬鹿ばかにしている。大方田舎いなかだから万事東京のさかに行くんだろう。物騒ぶっそうな所だ。今に火事が氷って、石が豆腐とうふになるかも知れない。しかし、あの山嵐が生徒を煽動するなんて、いたずらをしそうもないがな。一番人望のある教師だと云うから、やろうと思ったら大抵たいていの事は出来るかも知れないが、――第一そんなまわりくどい事をしないでも、じかにおれをつらまえて喧嘩けんかを吹きけりゃ手数が省ける訳だ。おれが邪魔じゃまになるなら、実はこれこれだ、邪魔だから辞職してくれと云や、よさそうなもんだ。物は相談ずくでどうでもなる。むこうの云い条がもっともなら、明日にでも辞職してやる。ここばかり米が出来る訳でもあるまい。どこのはてへ行ったって、のたれじにはしないつもりだ。山嵐もよっぽど話せない奴だな。

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