2015年9月6日日曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 07-10

夏目漱石 『坊っちゃん』 七
Soseki Natsume Botchan

 だんだん歩いて行くと、おれの方が早足だと見えて、二つの影法師が、次第に大きくなる。


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 だんだん歩いて行くと、おれの方が早足だと見えて、二つの影法師が、次第に大きくなる。一人は女らしい。おれの足音を聞きつけて、十間ぐらいの距離きょりに逼った時、男がたちまち振り向いた。月はうしろからさしている。その時おれは男の様子を見て、はてなと思った。男と女はまた元の通りにあるき出した。おれは考えがあるから、急に全速力で追っけた。先方は何の気もつかずに最初の通り、ゆるゆる歩を移している。今は話し声も手に取るように聞える。土手の幅は六尺ぐらいだから、並んで行けば三人がようやくだ。おれは苦もなく後ろから追い付いて、男のそでけざま、二足前へ出したくびすをぐるりと返して男の顔をのぞんだ。月は正面からおれの五分がりの頭から顋のあたりまで、会釈えしゃくもなくてらす。男はあっと小声に云ったが、急に横を向いて、もう帰ろうと女をうながすが早いか、温泉の町の方へ引き返した。
 赤シャツは図太くて胡魔化すつもりか、気が弱くて名乗りそくなったのかしら。ところが狭くて困ってるのは、おればかりではなかった。


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