2015年9月6日日曜日

夏目漱石 『坊っちゃん』 08-01

夏目漱石 『坊っちゃん』 八
Soseki Natsume Botchan

 赤シャツに勧められてつりに行った帰りから、山嵐やまあらしを疑ぐり出した。


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 赤シャツに勧められてつりに行った帰りから、山嵐やまあらしを疑ぐり出した。無い事を種に下宿を出ろと云われた時は、いよいよ不埒ふらちやつだと思った。ところが会議の席では案に相違そういして滔々とうとうと生徒厳罰論げんばつろんを述べたから、おや変だなと首をひねった。萩野はぎのばあさんから、山嵐が、うらなり君のために赤シャツと談判をしたと聞いた時は、それは感心だと手をった。この様子ではわる者は山嵐じゃあるまい、赤シャツの方が曲ってるんで、好加減いいかげん邪推じゃすいまことしやかに、しかも遠廻とおまわしに、おれの頭の中へましたのではあるまいかと迷ってる矢先へ、野芹川のぜりがわの土手で、マドンナを連れて散歩なんかしている姿を見たから、それ以来赤シャツは曲者くせものだとめてしまった。曲者だか何だかよくはわからないが、ともかくもい男じゃない。表と裏とはちがった男だ。人間は竹のように真直まっすぐでなくっちゃたのもしくない。真直なものは喧嘩けんかをしても心持ちがいい。赤シャツのようなやさしいのと、親切なのと、高尚こうしょうなのと、琥珀こはくのパイプとを自慢じまんそうに見せびらかすのは油断が出来ない、めったに喧嘩も出来ないと思った。喧嘩をしても、回向院えこういん相撲すもうのような心持ちのいい喧嘩は出来ないと思った。そうなると一銭五厘の出入でいり控所ひかえじょ全体をおどろかした議論の相手の山嵐の方がはるかに人間らしい。会議の時に金壺眼かなつぼまなこをぐりつかせて、おれをにらめた時はにくい奴だと思ったが、あとで考えると、それも赤シャツのねちねちした猫撫声ねこなでごえよりはましだ。実はあの会議が済んだあとで、よっぽど仲直りをしようかと思って、一こと二こと話しかけてみたが、野郎やろう返事もしないで、まだむくってみせたから、こっちも腹が立ってそのままにしておいた。
 それ以来山嵐はおれと口を利かない。机の上へ返した一銭五厘はいまだに机の上に乗っている。ほこりだらけになって乗っている。おれは無論手が出せない、山嵐は決して持って帰らない。この一銭五厘が二人の間の墻壁しょうへきになって、おれは話そうと思っても話せない、山嵐はがんとしてだまってる。おれと山嵐には一銭五厘がたたった。しまいには学校へ出て一銭五厘を見るのが苦になった。


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