夏目漱石 『坊っちゃん』 08-02
夏目漱石 『坊っちゃん』 八
Soseki Natsume Botchan
山嵐とおれが絶交の姿となったに引き易えて、赤シャツとおれは依然として在来の関係を保って、交際をつづけている。
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山嵐とおれが絶交の姿となったに引き易えて、赤シャツとおれは依然として在来の関係を保って、交際をつづけている。野芹川で逢った翌日などは、学校へ出ると第一番におれの傍へ来て、君今度の下宿はいいですかのまたいっしょに露西亜文学を釣りに行こうじゃないかのといろいろな事を話しかけた。おれは少々憎らしかったから、昨夜は二返逢いましたねと云ったら、ええ停車場で――君はいつでもあの時分出掛けるのですか、遅いじゃないかと云う。野芹川の土手でもお目に懸りましたねと喰らわしてやったら、いいえ僕はあっちへは行かない、湯にはいって、すぐ帰ったと答えた。何もそんなに隠さないでもよかろう、現に逢ってるんだ。よく嘘をつく男だ。これで中学の教頭が勤まるなら、おれなんか大学総長がつとまる。おれはこの時からいよいよ赤シャツを信用しなくなった。信用しない赤シャツとは口をきいて、感心している山嵐とは話をしない。世の中は随分妙なものだ。
ある日の事赤シャツがちょっと君に話があるから、僕のうちまで来てくれと云うから、惜しいと思ったが温泉行きを欠勤して四時頃出掛けて行った。赤シャツは一人ものだが、教頭だけに下宿はとくの昔に引き払って立派な玄関を構えている。家賃は九円五拾銭だそうだ。田舎へ来て九円五拾銭払えばこんな家へはいれるなら、おれも一つ奮発して、東京から清を呼び寄せて喜ばしてやろうと思ったくらいな玄関だ。頼むと云ったら、赤シャツの弟が取次に出て来た。この弟は学校で、おれに代数と算術を教わる至って出来のわるい子だ。その癖渡りものだから、生れ付いての田舎者よりも人が悪るい。
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